JAPAN COMMUNITY CINEMA CENTER NEWS
コミュニティシネマニュース vol.5
2004.12.13


コミュニティシネマ支援センター運営委員石坂健治氏による「映画上映ネットワーク会議 イン 高知」レポートが、日本映像学会学会誌「映像学」に掲載されました。

【映画上映ネットワーク会議2004 イン 高知 レポート】


公共上映とコミュニティ・シネマ運動の行方
――映画上映ネットワーク会議2004イン高知 参加報告




石坂 健治(コミュニティシネマ支援センター運営委員)


 2004年8月20日、21日の二日間にわたり、「映画上映ネットワーク会議」が高知県立美術館で開催された(昨2003年の同会議については本誌72号の菅原慶乃氏の報告¹を参照されたい)。1996年に創始されて以来9回目を迎えたこの会議は、運営母体である(財)国際文化交流推進協会²が地方自治体と共催して毎年1回実施しているもので、各地の上映団体や自治体の文化事業担当者など公共上映の担い手、それに公共上映に近い活動を展開しているミニシアターの経営者なども出席して、今年もまた160人を超える参加者が集う活況をみせた。今回のテーマは「映画教育について考える」で、1日目はこの分野の先進国フランスとイギリスから招いたゲストによる基調講演と日本側を加えたパネル・ディスカッションが行われ、2日目には高知の試みを中心に映画教育の実践に関する発表がなされたほか、地元の小中学生を対象に海外ゲストがワークショップを行った。そういえば2002年の日本映像学会第28回大会(於早稲田大学)でも「映像と教育」がテーマとして掲げられたが、映画上映ネットワーク会議の方は、現在各地で勃興しつつあるコミュニティ・シネマ運動との連携において、小中学生ら年少者に対する映画教育を地域社会の中でいかに進めるべきかという議論が中心となった。

1 映画上映ネットワーク会議の経緯

 この会議の発足から現在までの経緯について簡単に触れておこう。全国各地で個別に活動していた映画祭やシネクラブの関係者を集めて第1回の会議が福岡で開催されたのが1996年。当初は上映団体の相互交流・情報交換の場といった趣が強く、共通の苦労、すなわち資金難や興行組合との確執などを討議していたのだが、やがて公的助成システムについての関心から、フランスや韓国の映画振興制度、ドイツの市民映画館(コミュナール・キノ)、アメリカのスポンサーシップなどについてゲストを招いて研究するようになった。とりわけ、職業を持つ市民が国や州から公的助成を受けて映画館のオーナーをつとめ、国内の構成メンバー間のネットワークを通してフィルムを調達するコミュナール・キノの思想は参加者に大きな衝撃を与え、年1回の映画祭(=ハレ)に加えて恒常的な上映の場(=ケ)を構築すること、すなわち日本型コミュナール・キノはいかに可能か、という議論に発展していった。大阪のシネ・ヌーヴォや札幌のシアターキノのように、市民に呼びかけて株主を募るという新しい株式会社スタイルの映画館も登場した。

 2001年12月に文化芸術振興基本法が公布。日本文化における映画の重要性が公文書で明言され、中央省庁や地方自治体もそれぞれの立場から映画振興に関心を寄せる機運が高まった。すなわち、映画振興、特に日本映画の振興策を模索する文化庁や経済産業省にとっても、人口流出による過疎化や郊外型シネマ・コンプレックスの進出に伴う都市中心部の空洞化に苦慮する自治体にとっても、それぞれの関心に伴う角度から「映画」の新しい可能性に着目することとなったのである。こうして映画振興と地域振興という二つの課題が交差するなか、映画の流通過程(製作−配給−上映)における「入口」と「出口」の障害についての見直しが始まった。

2 フィルム・コミッションとコミュニティ・シネマ

「入口」すなわち製作における大きな障害とは、行政や公安の側の様々な制限により、欧米や韓国などに比べて、特に都市においてまともに映画撮影ができないことであった。これに対しては、映画製作の環境整備に関心を持つ人々が早くから「フィルム・コミッション設立研究会」を作って研究を重ねるなど、自治体が撮影隊を誘致して地域ぐるみで便宜供与・撮影協力するというフィルム・コミッションの枠組みが提示されていたが、ロケ隊の誘致による経済効果と、完成した映画による地域PRというメリットに多くの自治体が注目。マスコミもこの話題を大きく取り上げた結果、きわめて迅速に事態は推移し、2001年に「全国フィルム・コミッション連絡協議会」が設立された。事務局は文化庁所轄の東京国立近代美術館フィルムセンター内に置かれ、会員数は2004年9月の時点で北海道から沖縄まで71団体に達している。地方の各団体の窓口の多くが役所の内部に設置されているのをみても、自治体の力の入れ方が分かるだろう。今では相当数の日本映画がフィルム・コミッションを通じて地域の協力体制を得るようになってきている。

 さて、「入口」におけるフィルム・コミッションと対になるのが、「出口」におけるコミュニティ・シネマという概念であり、ここ数年で興隆の動きが加速した点も共通している。そもそも「出口」=上映の際の大きな問題とは、多くの映画が作られ配給される反面、ごく一部の大都市を除くと大半の映画が日の目を見ずに終わってしまうことである。国際文化交流推進協会の調査によれば、東京で劇場公開される映画のうち地方でも上映されるのはたった2割との由。そこで立ち上がってきたのが、アメリカ映画等メジャー一辺倒の既成映画館とは別に、シネクラブ、商店街、美術館など地域の様々な構成団体が協働して上映組織を運営し、公的助成を受けつつマイナー/オルタナティヴなものを含む多様な映画を上映して地域に寄与するというコミュニティ・シネマの考え方である。画一化の進む映画上映の現場でいかに多文化主義やアンチ・グローバリズムを実践するか、という問題意識がそこにはある。2003年、国際文化交流推進協会が統括団体「コミュニティシネマ支援センター」を設立。それまで続けてきた映画上映ネットワーク会議の参加団体を中心に、2004年8月の時点で約150団体がこの支援センターにコミュニティ・シネマとして登録しているので、すでに大きな勢力となっている。但し、先駆的な活動を展開してきた弘前、高崎、金沢などの例³を見ても、地域ごとの状況に応じて全く異なるタイプの運動が多様に展開されており、フィルム・コミッションのように「ロケ隊誘致」と一言で括れないのと、基本的には映画ファン(特定少数)が基盤となる運動なので、これまた映画の好き嫌いにかかわらず地域ぐるみ(不特定多数)で関わるフィルム・コミッションとは異なっており、全国規模のマスコミの注目度では地味な扱いを余儀なくされている。高知の会議でも、フィルム・コミッションの関係者から「映画撮影と地域活性化がダイナミックにつながるフィルム・コミッションの理念が自治体を動かしているのに比べ、コミュニティ・シネマは自治体的には“映画オタクのマイナーな上映運動”と軽視されるきらいがある」と指摘された。確かに現状ではそうした弱点も抱えているが、巨視的に見れば、大都市型に偏向した従来の製作・上映システムからの脱却をはかる突破口として、フィルム・コミッションとコミュニティ・シネマは対になる運動と考えるべきだろう。ある地域の協力を得て作られた映画がその地域で享受されるという、「入口」から「出口」までの健康な循環が行われるには両者がともに機能することが必須なのである。

3 英仏の映画教育 

 コミュニティ・シネマの運動が広がるなか、「映画教育」が今年の会議のテーマとして浮上したのには理由がある。一つは、多くの上映団体が従来から実感していたのだが、テレビとアメリカ映画だけで育った若者層の「映画を読む能力」の低下が著しく、年少の頃から「映画の読み方」を教える必要があるという問題意識である。このことは、多種多様な映画の上映環境を確保しようとするコミュニティ・シネマ運動にとって重大な問題を含んでいる。つまり、このままいけば次世代の人々は、マイナー/オルタナティヴな映画を見たいと思う欲望すら持たなくなってしまうのではないかという危惧であり、それは極論すればコミュニティ・シネマの終焉を意味する。もう一つは、日本の初等教育では「視聴覚教育」というコトバがずっと使われ、その種の映像教材のマーケットも産業として成立している割には、このコトバが鮮明な像を結ばない。ならば、映画教育先進国といわれるフランスやイギリスの事例とつき合わせてみようではないか、という関心である。

 フランスから招かれた講師はアラン・ベルガラ氏。映画批評家としてスタートし、Cahier
du cinéma誌の編集長をつとめ、現在はパリ第3大学教授として教鞭を執っている。著作も多く、共著『映画理論講義――映像の理解と探求のために』(2000、武田潔訳、勁草書房)などが邦訳されている。また、ドキュメンタリー映画『パゾリーニの小さな花』(1997)の監督としても知られている。イギリスから招かれた講師はウェンディ・アール女史。国語教師を10年つとめ、現在は英国映画協会(BFI)教育部門で映画教育の教材開発を担当している人物である。この二人がそれぞれ自ら開発した教材の実物と、自国の映画教育の概要を紹介したのだが、実に刺激的な内容であった。

 詳解は省くが、ベルガラ氏の製作になる映画教育用DVDソフト『少しずつ、少しずつ映画へ』Petit à petit, le Cinémaには14の短編(全編)と5本の長編(抜粋)が収録されており、むろん作品を1本ずつ見てもいいのだが、全ての作品をチャプターごとに分解することもできるので、あるテーマを設定し、複数の映画の任意の場面をジャンプし横断しながら「映画の読み方」を感得することができるようになっている。翌日のワークショップでは、チャールズ・チャップリン『サーカス』(1928)でチャップリンがライオンの檻に閉じ込められる場面、ジャック・アーノルド『縮みゆく人間』(1957)で小さくなった人間が猫に襲われる場面、メリアン・C・クーパー他『キング・コング』(1933)でキング・コングが村に迫る場面の三つを続けて見せ、「なぜチャップリン作品だけは笑いながら安心して見ていられるのか」「この3場面に共通して登場するものは何か」などの質問がベルガラ氏から子どもたちに投げかけられた。前者の問いに関しては、コメディというジャンルの規則についての説明がなされ、後者の問いに関しては、逃げる弱者を守る「扉」が画面に現れているという主題論的な指摘が行われた。ワークショップの資料には、複数の映画の横断に伴って教師の側が設定すべきテーマとして、「水」「フィックスのキャメラ、動くキャメラ」「馬」「落下」「ダンス」「大きい/小さい」「歩行」など、映画の内容から形式にわたる多様な項目が23も並んでいる。ベルガラ氏は、DVDの登場によって、作品をばらばらに解体した上で、全く無関係に見える他の映像と横断的に遭遇させることが容易になったと強調したが、映画作家でもある同氏がオリジナル・フォーマットである「フィルム」や、「作品」全編を鑑賞することに拘らず、映画教育の現場においては逆に、DVDを駆使して映像を徹底的に分解し“脱構築”することの効果に着目している点が面白かった。

 他方、アール氏は年齢別に細分化された英国式の教材をいくつか提示。3〜7歳向けに開発したビデオ教材『始まりのお話』Starting Storiesでは、5分程度の実験的な短編アニメーションを見せ、「どんな音が聞こえるか」「どんな人や動物が出てくるか」といった質問へと移行する。7〜11歳向けの『短いお話』Story Shortsでは、やはり5分のアニメーション鑑賞の後、「映画の始まりでは、どういうキャメラの動き、カットのつなぎを使っているでしょう」といった、より本格的な質問が用意されている。さらに11〜14歳向けの『短い上映』Screening Shortsに至ると、5分の実写ホラー映画を見せ、「監視・観察の考え方を映画の中でどのように展開していますか」といったかなり高度な問いをもとに討議が行われることになる。映画作品を全編見せた上で、それが映像と音から成り立っており、映像にも文章と同じように「文法」や「構造」が存在するという基本認識を教える方針が徹底していると感じた。無関係に見える複数の映像を横断的に遭遇させるフランス方式が、例えばジャン=リュック・ゴダールの『映画史』(1989−98)の方法を彷彿とさせるのに対し、映像と音が交差したところに生成するものとして作品を捉えるイギリス方式も、構造主義や「リゾーム」といった考え方との類縁性を感じさせるなど、いずれも現代の芸術や思想のエッセンスを吸収しつつ教材や教授法が開発されているという印象を受けた。

 自国の映画教育制度の概要については英仏両国の共通点がめだった。すなわち、@国の定める教育方針のなかで、映画・映像(メディア)教育は小・中・高等学校での必須科目と明示され、教育省と文化省の緊密な連携がはかられ、教育界と映画業界を結びつけるシステムが作られている。A映画を「見る」「読み解く」教育と、「作る」教育の両者を共存させている。B小中高校の教師が映画教育の専門家というわけではなく、授業はそうした一般教師と映画・映像のプロとの共同作業で行われている。C地域の映画館の協力を得ている。D映画・映像教育のための教材が充実している、といった諸点で、こうした項目においては全くと言っていいほど施策がなされていない日本の現状を考えるにつけ、彼我の大きな格差を感じた。⁴

 基調講演に続いて行われたパネル・ディスカッションでそのことは一層はっきりした。日本側から文化庁芸術文化調査官の佐伯知紀氏が加わったのだが、英仏の映画教育と日本のそれとを比較せよという司会者の問いかけに対し、佐伯氏は「視聴覚教育という分野は戦後ずっと続いているのですが……」と少々困惑気味で、会場にいた視聴覚教育の関係者に発言を促すひと幕もあった。そこで明らかになったのは、英仏の映画教育が「映画を見ること」「映画を作ること」そのものの教育であるのに対し、日本の視聴覚教育とは「映画をある科目(理科とか社会とか)の教材として利用すること」であり、要するに全く異なる分野なので比較自体が無理ということであった。

4 オーディエンス・ディヴェロップメントという考え方

 こうして1日目は国家主導の映画教育システムを有する英仏と、そうした施策が皆無の日本との格差を痛感して終わったのだが、翌日に行われた「高知における教育プログラムの事例報告」を聞いたり、各地のコミュニティ・シネマが行っている子供向けのプログラム、例えばKAWASAKIしんゆり映画祭の「ジュニア映画制作ワークショップ」、「ゆふいんこども映画祭」、「キンダーフィルムフェストin京都」などの活動を知るにつれ、日本も100%悲観することはないと思うようになった。英仏においてアール氏やベルガラ氏はいわば国家的なプログラムの一翼を担う形で映画教育を実践しているわけだが、日本では各地の上映団体が、国家的な援助やマニュアルのない中で英仏とよく似た活動を展開しているのもまた事実なのである。それは映画鑑賞型だったり映画製作ワークショップ型だったりと様々だが、地域ごとに個別の映画教育がほとんどボランティア・ベースで行われているのが日本の実情といえるだろう。

 最後に、会議全体の締め括りとして「コミュニティ・シネマについてのフリーディスカッション」の時間が設けられた。前日のシンポジウムについて、日本では「映画教育」という概念が確立していないためにこの用語の定義が各人各様で混乱が生じ、国家が映画教育を主導する英仏とぶつけるのは現時点では無理なのではないか、という厳しい意見も出た。その上で、この会議の性格上、さしあたって重要なのは政府に働きかけて英仏並みの映画教育システムを整備することではなく、コミュニティ・シネマにとって現実的かつ効果的な映画教育を考えることではないか。それには「映画教育」よりも、英語圏でよく使われる「オーディエンス・ディヴェロップメント」、つまり観客の開発(育成)という理念の方が実態にそくしているのではないか、といった発言が飛び交った。確かにこれは傾聴に値する意見で、例えば演劇界では演出家や劇団員が地域の学校でワークショップを開いて児童らに演劇に近づいてもらい、将来の観客を育てるという試みが近年盛んに実行されており、「オーディエンス・ディヴェロップメント」というコトバ自体もかなり使われるようになってきている。先にも述べたように、映画を読解する能力を有する観客が育ってこそ、コミュニティ・シネマの将来の繁栄も約束されるのだから、映画上映の現場においても観客の育成は急務となるだろう。

 こうして2日間の会議は幕を閉じた。コミュニティシネマ支援センターに150団体が登録していることは既述したが、今後は映画の「出口」すなわち上映拠点の拡大を進めたい文化庁の意向を追い風としつつ、同センターと構成団体が一大勢力となって、映画鑑賞の機会に恵まれない地域での上映や、公開の場を持たない多くの映画の上映をサポートする「上映支援システム」のような形を確立させ、その受け皿となる方向を目指すことが至急の課題となるだろう。日本の公共上映はいま、正念場を迎えているのだ。



1 菅原慶乃「コミュニティシネマによる豊穣な映画文化を目指して――映画上映ネットワーク会議2003 イン大阪・文化庁映画祭コンベンション参加報告」『映像学』72号、2004年、74−80頁
2 1994年に国際交流基金の提唱により設立された外務省所轄の公益法人。通称ACE Japan(エース・ジャパン)。映画事業としては、自治体との共催による年1回の映画上映ネットワーク会議の開催、同ネットワークを基盤とするコミュニティシネマ支援センターの運営、映画美学校との共催による映画上映活動専門家養成講座の実施、国内・海外の映画上映状況の調査、非商業上映用フィルムの国内貸出しなどを行っている。
3 弘前のNPO「Harappa」は廃屋となった蔵を改造して展示・上映など芸術活動の拠点としている。高崎コミュニティシネマは高崎映画祭事務局が中心となって空洞化した中心街にミニシアターを設立する運動を展開。金沢コミュニティシネマは逆にミニシアター「シネモンド」が商店街や美術館とともに上映活動を拡大するとともに、青山真治監督『秋聲旅日記』(2003)の製作も行った。
4 筆者が接したイタリアの映画教育については、拙稿「「第6回国際フィルム・ソサエティ・フェスティバル」レポート」『フィルム・ネットワーク』35号、2004年、5頁、を参照されい。国際映画祭の会期中に小学生に映画館でアジア・アフリカなど非欧米圏の映画を見せ、映画祭に来ている製作国の人間がレクチャーを行うスタイルである。

(本稿は『映像学』73号、2004年11月、に掲載されたものです。)